2000年 11月 28日 東レPPOいちゃもん後日談。東レPPO大会事務局に対してクレームのメールを出したことは、以前掲示板に書いた。毎年、観に行く度に不快感が増幅し我慢できなくなった。今年の大会は観に行く前にFAXで質問状を送ったが、なしのつぶてだった。予選初日を観に行ったら前年にも増して不愉快な思いをしたので、その後、まったく行く気が失せてしまった。2001年の大会のサイトにはメッセージボックスなるものが設けられ、メールで意見を送られるようになっている。無駄とは思いながらメールを送った。要旨は次のようなものである。実際にはそれぞれの項目に、もう少し詳しい説明を柔らかく付け加えた。<ほんまに柔らかく?
1.なんでスタッフは犯人を見るような目でお客さんを見るの?
ところが思いがけず、東レPPO事務局から返事のメールが届いた。文面は言ってしまえば「鋭意努力いたします」という意味の、いたってありきたりのものだ。具体的な改善策などは当然のごとく書いていない。しかし、評価できることが二つあった。まずクレームに返信があったこと、それからメールに東レPPO事務局のN氏の署名が入っていたことである。これは責任の所在を明確にしたという意味で、大きな前進だと思う。
クレーム処理の対応の仕方を見ていれば、大体その組織の実力が分かる。ポリシー、組織力、誠実さ、成熟度、スタッフの教育程度。東レPPOの場合、東レはあくまでスポンサーであり、実際に企画運営しているのは別の会社である。運営している会社がいい加減なことをしてしまうと、もっとも痛手を受けるのは冠スポンサーだ。いずれにしても悪評は冠スポンサーに跳ね返ってくる。はたしてそこまで気が回っているだろうか。
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2000年 11月 26日 甲府オープン最終日、昨年に続き最高の天気に恵まれた。つい3日ほど前は日曜日は雨の天気予報だったが、気温はぐんぐん上昇し汗ばむほどだ。しかし、あいかわらず観客は少ない。30人程度か。 シングルス決勝 岡本 聖子(フリー) 4-1, 1-4, 4-1, 5-3 田口 景子(亜細亜大) やはり岡本の巧さが田口の強打を封じた。もう少しコメントを書こうと思ったが浮かんでこない。あまりに天気が良いので写真にばかり集中しすぎてしまったようだ。
ダブルス決勝 岡本 聖子/田口 景子 3-5, 4-1, 5-4(4), 4-1 新井 由樹/飯島 久美子 昨年の決勝と3人まで、同じメンバーとなった。昨年、新井は高校の先輩の手塚怜美と組んで出場した。岡本/田口ペアに大逆転を喰らい、試合後号泣していたのが初々しかった。今年は学校こそ違うがいつも組んでいる飯島とだ。第1セットは歯車がかみ合って、先取した。しかし第2セットから岡本/田口ペアが巧さを発揮した。若い高校生ペアが勢い込んでネットへ詰めると、面白いようにロブが頭の上を抜けていった。
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2000年 11月 25日 甲府オープン第5日、シングルスとダブルスの準決勝各2試合が行なわれた。今日は少し冷え込み、やっとひざ掛けが役に立った。シングルスの2試合を観た。観客は20人足らず。 田口 景子(亜細亜大) 5-3, 4-1, 5-3 飯島 久美子(ビッグK)
大体予想通りの展開になった。一昨日の試合ぶりから見て、飯島はまだ田口には勝てないだろうと思っていた。田口のいいところは勝とうが負けようが、いつも自分のテニスを貫き通すところだ。フォア、バックとも両手打ちでひたすらハードヒットする。ほとんど小細工はしない。フラットドライブからムーンボールまで、スピンの量を調節して変化をつけるぐらいだ。相手のボールが甘くなると思い切り叩き込む。あれだけ思い切りひっぱたければさぞかし気持ち良いだろうな、と思わせる爽快感がある。 もっと上を狙うならば、もう一つ武器が欲しい。私はサービスを改良することが手っ取り早いと思う。今でもかなり速いサービスが打てるのだが、トスが少し手前のせいか窮屈そうに見える。今日もダブルフォルトからリズムを乱し、何度かサービスゲームを落とした。もう少しトスを前にするだけでボールに体重が乗り、さらに攻撃的なサービスを打つことができる。サービスで崩して、少しでも前で叩き込めばプレイの幅がぐんと広がるだろう。 一方の飯島はいろんなことをやり過ぎた。田口に合わせてムーンボールで応酬したり、ドロップショットを打ったり。特に、追いつめられた時のドロップショットはいただけない。金がない時にギャンブルをやるようなものだ。ますます借金が増えていく。貧乏人はギャンブルをやってはいけない。若いのだから、もっと思いっ切り打ち合って欲しかった。 岡本 聖子(フリー) 5-4(5), 4-0, 1-4, 5-3 郡司 亜希子(ワコール)
昨日、第1シードの梅原を破った岡本が、勢いを持続した。粘り強い郡司に根負けすることなく、大体においてストロークで主導権を握った。岡本のストロークは郡司より回転が少なく、より攻撃的だ。第4セットで郡司の3−1となった時はフルセットにもつれ込むかと思われたが、最後は岡本が地力を発揮した。 これで、シングルス決勝は岡本対田口、亜細亜大のOBと現役との対戦となった。二人はダブルスでもペアを組んでいる。昨年のこの大会でも同じペアでダブルスの優勝をしている。この時は二人とも大学生だった。お互い相手の手の内は知り過ぎているほど知っている。今日の調子とストロークの質で見る限り、岡本有利だと思う。明日の結果をお楽しみに。 今日も写真はスナップだけ。明日の決勝はコート内に観客席が設けられるはずなので、試合中の写真も撮れるだろう。
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2000年 11月 23日 笹子トンネルを抜けると快晴だった。あまり気温は上がらないという予報に、ひざ掛けを2枚用意し、万全の防寒対策をして出掛けた。しかし1日中快晴で日なたは暖かく、最後まで使うことはなかった。えてして、こんなもんだ。 今日は国内で開催される20世紀最後の国際大会、ルネサンス国際女子エストTC甲府オープンの観戦だ。直前になって外国選手の出場取り止めが相次ぎ、本戦に出場した外国選手は韓国のオー・ユンミひとりだけとなった。主催者はすでに地元マスコミに対して、今年は大勢の外国選手が出場するとアナウンスしていたため、観客以上に落胆は大きい。ともあれこれで多くの日本選手にWTAポイントが得られるチャンスが増えたことも事実だ。もらえるものはもらえる時にもらっておこう。 第1シードは昨年のディフェンディングチャンピオン、梅原幸恵だ。金網越しに写真を撮るのは煩わしいので今日は写真も撮らず、じっくり梅原のシングルス2回戦を観戦した。対戦相手はただひとりの外国選手、オー・ユンミだ。4−2、4−0、4−2のストレートセットで勝った。はじめて観る4ゲームショートセット制の試合だ。1セットが6ゲーム制より2ゲーム少なく、その代わり最長で5セット行なう。3セット先取した方が勝ちだ。
今日の梅原は何度もジュースに持ち込まれたが、まずまずの仕上がりだ。前週の榛原の1万ドル大会でも優勝し、好調を持続している。昨年ここで優勝した時は534位であったが、今年は325位で戻ってきた。この1年で200位以上順位を上げたことになる。当然のごとく、来年はこの大会には戻ってきて欲しくないと思うのは私だけではないだろう。次のステージに飛躍して欲しい。
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2000年 11月 12日 全日本テニス選手権最終日、昨日とうって変わって、底冷えのする1日となった。東京では12月上旬の気温、昼間でも13度までしか上がらなかったそうだ。寝ぼけたままで出発したため防寒に全く気を配るのを忘れてしまった。男子シングルス決勝を観たあと、次の女子ダブルス決勝の途中で、あまりの寒さに我慢できず、引き上げてしまった。 男子シングルス決勝は示唆に富んだ試合になった。權はほとんどつかみかけていた大魚をみすみす逃がしてしまった。私はひょっとしたら權が勝つかも知れないと予想していた。今大会、本村は全試合ストレートで勝ちあがっている。一見好調そうである。しかし私の頭の中には、先週の横浜チャレンジャー準決勝での負け方と昨日の金子戦での勝ち方が引っかかっていた。横浜チャレンジャーでは全く集中できないままずるずると負け、金子戦では勝ったものの今一つピリッとしなかった。 第1セット、本村は冒頭からブレークを許し、いやな立ち上がりだ。權は本村のバックに徹底してボールを集め、本村のフォアハンドを封じた。ストロークの主導権は終始權が握り、本村を振り回した。權が第1セットを先取。ここまでは私の予想通りだ。 第2セットに入ると本村が奮起、5−1とリードする。この時、權の気持ちはすでに第3セットに飛んでいた。このセットは獲られて仕方なし、体力を温存し第3セットで巻き返す。權のシナリオは、きっとこうであったに違いない。ところが、ここから權にとって予想もしないことが起きてしまう。本村が勝手にもたついて、セットを獲り切れないのだ。そうこうしている内になんと5ゲーム連取して、ついには6−5で逆転してしまう。しかもサービス・フォー・ザ・マッチだ。 ここで決める、權は急いでシナリオを書き換える。ところがこれが奈落へのシナリオになろうとは、思いもしなかっただろう。本村はここまで散々振り回されていた。おかげで邪念が振り払われ、ただボールを返すことだけに集中できるようになっていた。第12ゲームをブレークバックし、タイブレークももぎ取った時には、すっかり本村のストロークは蘇っていた。一方、權は温存するはずの体力を吐き出してしまっていた。
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2000年 11月 11日 全日本テニス選手権第6日、風は少々強いが抜けるような秋晴れになった。昨日は中央高速が集中工事中であったので、随分時間がかかり試合開始には間に合わなかった。今日は工事も中断、快適に有明まで飛ばした。下り車線は紅葉狩りに出かける車で大渋滞なので、余計気持ちが良い。<性格、悪う〜 女子シングルス決勝は昨年と同じ、浅越しのぶと井上青香の対戦となった。結果は井上青香が昨年の雪辱を果たし、初優勝した。私も井上が勝てるとは思わなかった。経過はNHK教育テレビで中継されたので、詳しいことは省く。今日は学校が休みのせいか、若い人が随分多かった。
今日はもう一つ注目の一戦があった。本村剛一と金子英樹の準決勝だ。2人の対戦は昨年、横浜チャレンジャーと全日本であったが、2戦とも見逃していたので、ぜひ観たかった。女子シングルス決勝始まる前の10時から試合開始であったが、熱心なファンが大勢詰めかけた。驚いたことに試合開始時には、1番コートの観客席は満席となった。
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2000年 11月 10日 全日本テニス選手権第5日、休暇を取って観戦に来た。昨日は随分寒かったようだ。今日はそれほどではないが、少し冷え込む。第3試合の途中から小雨がぱらつき、センターコートの屋根は締められた。外のコートは近隣住民との申し合わせで11月以降は照明がつけられない。暗くなったら続行不能となる。今日は女子ダブルス準々決勝の1試合が1セットオールとなったところで、翌日に持ち越された。もう少し雨にたたられれば週末のテレビ中継にも影響が出るかも知れない。スケジュールに関してはまさに綱渡り状態の大会である。 今日は藤原里華、梅原幸恵、近藤大生、3人の試合に注目した。ご覧のように3試合とも判で押したように同じようなスコアになってしまった。 女子シングルス準決勝 井上 青香 6-3, 6-2 藤原 里華
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2000年 11月 5日 今日も午前中は有明へ、もちろん全日本テニス選手権の本戦出場をかけた中村藍子が目当てだ。わざわざ小娘を見るために、普段は決してやらない早起きをして出かけるとは我ながらあきれる。家人はもっとあきれている。
中村藍子が本戦出場を決めたのを見届けてから、横浜国際プールへ向かった。横浜チャレンジャーのシングルス決勝に少し遅刻したが、道路さえ渋滞していなければ、あっという間に着いてしまう。
[ 最終日の結果 ] E.タイノ(アメリカ) 7-6(5), 6-4 J.ノウル(オーストリア)
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2000年 11月 4日 横浜チャレンジャー第6日、主催者のもくろみは恐らく、もろくも崩れ去ってしまったに違いない。本村剛一も李享澤もそろって負けたからだ。日曜日の決勝はノウル対タイノという日本では全く無名選手の対戦になってしまった。しかし何もがっかりすることはない。無名であろうがゲームの質が下がるわけではない。強いものが勝ち残っただけだ。明日も間違いなく熱戦が期待できる。ぜひとも足を運んでいただきたい。 [ 今日の結果 ] J.ノウル(オーストリア) 6-2, 6-2 本村 剛一
シングルス準決勝は同時に始まった。私は本村の試合の方を観た。今日の本村は全く良いところがなかった。ストロークは安定せず、ファーストサーブの入りも悪い。一方のノウルは外国選手には珍しいフォア、バックとも両手打ち、長身の細いからだを鞭のようにしならせて高速サーブを次々に打ち込んだ。ネットにも頻繁に詰め、器用に両手打ちでボレーを決めた。風貌は全く違うが、金子英樹のテニスを彷彿とさせる。
午前中は全日本テニス選手権大会の予選を観に有明に行った。お目当てはあの中村藍子だ。3月の全日本室内で観た時の衝撃があまりにも強烈であったため、ぜひもう一度観たいとチャンスを待っていた。今日はうるさいテレビクルーも追いかけておらず、ただ単に予選を戦っている一選手に過ぎない。
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2000年 11月 3日 横浜チャレンジャーも第5日、シングルス準決勝4試合と、ダブルス準決勝1試合が行なわれた。すでに日本選手はシングルスの本村剛一ただひとり、いやがうえにも期待が集まる。 [ 今日の結果 ] 李 享澤(韓国) 6-1, 6-1 R.ヴィク(チェコ)
李享澤は強かった。チェコのヴィクを全く寄せ付けず、2ゲームしか与えなかった。とにかくストロークが深く安定している。ボールが浅くなれば積極的にネットへも詰める。崩せるものはいるのか?
本村剛一が接戦をものにした。第3セット、第1ゲームで獲られたブレークを本村が追いかける展開となった。ブレークできそうでできない、そんな歯がゆい展開がとうとうアレグロのサービス・フォー・ザ・マッチまで続いた。ここでついにブレークに成功、次のサービスゲームもきっちりキープし6−5と逆転した。
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